(10) ベルルスコーニの扇動的通俗主義
SPI首脳たちは、ベルルスコーニの社会政策について否定的な逆戻りばかりではなく、北部分離主義勢力やポスト・ファシスト勢力を統一させたW政治的W意味を深く心配していた。1994年4月27日、SPI書記局長にラッファエーレ・ミネッリが選出された。夏の間、年金の一層の削減条項に直面して、SPIは直ちに臨戦体制に入った。SPI・FNP・UILPの合同幹部会で上梓した、統一要求政策の主な点は、社会保障と社会福祉の分離、公的医療システムの防衛、家庭のため一連の措置、経済的困窮状態の65歳以上のすべての者への最低生活所得の保持であった。
年金者組合の伝統的な闘争形態(行列、政治集会など)のほかに、7月には革新的で効果的な新しい闘争形態の研究のための専門委員会が誕生する。数百万人の高齢者の社会保障権を侵害する者に対して、ビラを配るために、また一般の人々と話をするために、道路封鎖から、Wタバコ・ストWで国家を追いつめることなどのさまざまな抵抗の行動が定められた。
9月初めに、三大労組は、政府の最初の敵対的な措置に対しての回答で、9月10日から20日までの10日間を各組合のW特別動員Wを決定した。9月27日に内閣は、270億リラの社会費用の削減と年金改革の予算法と提出した。3日後には、ガルダ湖畔でSPI・CGILの「リベルエター(月刊紙)」の最初の全国祭が開催される。
ベルルスコーニ政権の計画によれば、社会保障の削減は、100兆リラ以上に達しなければならなかった。1995年全体で勤続年数の凍結が定められ、一方では負担金の35年の削減は有効として、年金受給年齢に満たない1年ごとに、年金の3%を減額する抑止策が決定された。この後者は、2000年までに65歳まで達する目的で、毎年18ヶ月が延長されることになる。最後に、1995年までは2%、次に1.5%で年効率の漸次的縮小が定められた(年金計算のためのパラメーター導入)。
医療条項で、約6兆リラの政府提案減額であり、社会費用の3兆リラは、USL費用の削減と合理化により、また利用効率の悪い病院の閉鎖によって1000億リラ、窓口支払いの特典を必要とする年齢制限の65歳への上昇と救急センターのリストラによって80億リラに達することになる。反対に医師への犠牲的要請ははるかに減少する。
直ちに予算案に対して、10月14日、ゼネストが発せられて、イタリア全土で3〜400万人が参加した。11月12日、ローマではベルルスコーニの年金改革に反対する全国的な大集会が開催され、約200万人もの人たちが街頭に溢れ出た。政府と労働組合と合意は、翌年に延ばす社会保障の改革の選別を定めた。こうして12月2日、あらたな大ゼネストに突入する。
そして1年もかけて優柔不断な新しいW大統領の政府Wにより、労働組合も支持して、1995年8月8日、法・第355号が可決された。いわゆるディーニ改革は、賃金方式の年金計算から負担金方式への移行で、将来の年金システムの基礎を築いた。こうしてイタリア社会は、市民と国家との関係の心を掴んだ。主な新しさは次のとおり。
● 2008年までに勤続年数の年金を段階的に廃止し、専ら負担金計算システムが適用される者に、新しい老齢年金に勤続年数年金と老齢年金の統合。
● 公務員にも退職条件が拡大され、補完的な社会保障を公務部門にも取り入れ、拡大する(現在、勤務中の者にも税の軽減で、補完的年金にもできる)。
● 年金受給年齢の柔軟性で、57歳から65歳までの間で変動する帯状の中で被保険者が選ぶ。年金条件は、当然支払われた負担金と年金受給年齢に比例する。労働に残る奨励金も定められた。
● 社会保障保護を欠く自営労働者と一部前払い対象のW独立W労働者を強制的に登録した専用の自立社会保障管理のINPSでの制度化(いわゆるW分離管理W)。
● 加重労働活動にかかわった者への年金受給へのより有利な規則。老齢年金で定められた年金をW短くするWためではなく、勤続年数年金に要請された戸籍上の資格を W和らげるWために、またこの給付を要請された支払い年数を縮小するためにも、このWボーナスWを活用できる。
● 勤続年数年金が計画的退職により、年2回で年金生活に入る。
● 障害年金と遺族年金は、他の所得の存在により縮小される。INPSの遺族年金を規制する規則は、公務員にも拡大される。
● 家族の主婦年金基金が設立された。
政府と労働組合との合意は、5月8日にまとまるが、長い疲れ果て交渉の後であった。5月30日から6月1日にかけて労働者、年金者、失業者は、合意案について賛成か、反対かの考え方を表明するために協議がされた。協議の結果は、八月の初旬に最終的な道すじで可決された、予算法の国会審議への道を平坦にした。ディーニ改革は、一方では労働組合によって守られた利益や要求ともう一方では、予算の均衡と経済正常化の拘束によって両立できることを示した。その結果、中央年金記録所(C・C・P)が設立され、INPS以外の各制度を含めた年金制度の情報がすべて記録されることになり、日本のようなW消えた年金Wではなくなる(とは言うものの、2010年ヴェーネト州で、SPI・CGILとINCAが州プロジェクトでサンプリング調整したところ[昨年11月調査]、6000人の年金者のうち、正確な年金であったのは、2,658人であったことから、やはり洩れがあるのは事実である)。
補完的な社会保障は、企業や産業別の基金から成り立ち、労働者から賃金の2%、雇用主からほかに2%と退職手当の一部によって補給され、基金は銀行と社会保障機関からも管理される。そのために労・使の委員会は、補強社会システムのすべての的確さを検証する任務をもつ。
勤続年数の年金に対しては、負担金支払いの35年以上は、1996年の52歳から、2012年の57歳までに上昇するが戸籍上のパラメーターが付く。新たに限定されたのは、賃金・年金の重複が導入され、一方、加重労働への社会保障の特例が決定された。