イタリア年金者組合最初の頁

11) 「ヨーロッパ年金者・高齢者連合(FERPA)」の結成 SPIの将来展望
 まさに、年金についてついての討論がヨーロッパで活発になった年であった中で、SPIの道のりが続く。1992年6月23〜24日のブリュッセルのFERPAの講演会で、ヨーロッパの要求プラカードについての討論が広がった。提案は最低所得の権利から、健康権、高齢者への社会サービスにまで及んだ。
 1993年は、FERPA(4月29〜30日、マドリッド)の正式な誕生を見た。「高齢者と世代間連帯のヨーロッパ年」を宣言する。多くの会談が組織され、人口統計、住民の高齢化、雇用者の低下、高齢者への援助が討論された。この年は、10月26日、「高齢者と世代間連帯のヨーロッパ日」として大統一集会で終了する。
 SPIのヨーロッパでの責任は、組合内部でも変化を作り出した。1994年の秋から、確かに、テーマ別集団や地域集団に分けられた「国際政治への作業グループ」が活動する。グループは、ヨーロッパ連合の他のグループだけではなく、世界のほかの所にも強力な関係をもち、国際的な関係強化、とりわけ、大変な困窮さや苦しみの状況で生活している、民衆や人々に対する人間性と連帯の旗で国際関係の強化を目的としている。しかし、容易ではないのはEU内でのFERPAの統一が困難であり、またSPIのような社会的交渉権もなく、
当分の間、財政支持もし、エネルギーを費やさざるを得ない状況下にある。
 年金改革のあと、SPIは、社会国家の総合的な近代化の方向で圧力を加え続ける。全体的な状況は、1996年の初めに、大きな分裂と矛盾によって溝が刻まれた国をみせていた。
1月に「イタリアにおける高齢者状況についての第五報告」は、SPIからヨーロッパ研究センター(CER)に委託されて、特に南部の年金者の中に、困窮と貧困の社会的地域が広がっていることを明らかにした。高齢者が、より孤独で、より貧しく(南部の3/4は、年間所得が100万リラを下回っている)、そして多くの場合、年金が家族である失業者にも養育するのに使われていた。
 1996年6月12〜14日、ローマ郊外のフィウッジでSPI第15全国大会が開催される。大会は、ラッファエーレ・ミネッリの書記局長再任を確認した。大会の際に、新しい交渉形態を通じて、地域に根付くことの重要性が力強く再重要視された。「地区評議会(CdL)や産業別の現役労働者も巻き込んで」推進すべき地域交渉は、社会経済の拡大や社会サービス・連帯活動の質に貢献しなければならないという結論である。
 大会で承認された最終文書は、全国的にも、超国家的にも新しい福祉(Welfare)のモデルの建設のために、必要な対話者としてのSPIを再び持ち出した。新しい社会国家の討論(次世代の側)は、「社会変化の主人公」のテーマの一つであり、高齢者から無視することはできず、このために「人生そのものの設計に永続的な権利を保障」する必要があった。
基本的な意義は、権利の平等性と所得やチャンスの再配分にあった。大目標と大改革(税所得、南部の経済発展、連帯的な連邦主義、公共行政の改革、社会融合プロジェクト、ヨーロッパの統合)と共に、生活の最低所得から社会サービスの補完的ネットワークの発展まで高齢者の要求の回復の特殊性が主張された。
 組織的な観点からは、SPIの課題である「民主的参加によって特徴づけられた総労働組合」としてのSPIの課題は、労働組合の水平的・垂直的な機関とのより密接な関係、SPIの地方にとって多くの視野や重要な戦略、地域的な認可や紛争性の基礎構造としての班の再確認、そして最終的にはAUSERやボランティア・非営利組織と共に体制の強化を前提にした。
 闘争の責任が中道左派の社会政策と本質的な収束によって少なくなったとしても、研究と反省の責任が休みなく続いた。一つは、SPIが進めている討論と集会であり、他の中央諸組織との会談もさまざまあった。「青年の労働」「3千年代の社会共同体での共同生活と連帯」「理解するために知ること」持続的職業教育などの講演会を準備した。
 1997年12月27日、法・第449号に含まれて、プローディ改革が修正された。主要な新しい点は、次のとおりである。
● 負担金の35年勤続と少なくとも57歳の年齢、または年齢とは関係なく、40年の負担金の年金で暫定的局面のW加速度化W
● 1998年には、INPSの最低条件を5倍超える総額の年金には、自動公平化のための年金増の不払い。1999年の発効から3年間で、INPSの最低条件の5倍から8倍の間に含まれた総計の帯状には、年金の公平化の指標の30%に縮小適用。INPSの最低条件を8倍超える帯状には指標の不適用
● 労働所得と年金の50%兼用ができる(最終的には禁止)
● 教師には勤続年数年金への接近計画の再定義
● 職人や商売人の負担割合の上昇
● 「過重職務」の新しい特定手続きとそのための年金アクセス
● 強制年金には、年金目的に計算可能な5年の最高上限。公務員には、退職手当の退職手当に関する賃金割り増し分の補完的社会保障目的
 改革には、特権的年金に対する制限的な意味があり、パイロットや判事、大学教授、イタリア銀行、株式市場管理委員会などの社会保障団体の但し書き条項も廃止された。
 1998年には、1月から組合員に提供するサービスの申し込みを広げ、「SPIのサービス憲章」が提出された。そしてマルケやウームブリア州の地震被災者に組合費のかなりの分が充てされる。 社会福祉のテーマで年金者たちの動員が続いた。
 最も重要な時は、ヨーロッパ連合(EU)の市民権の基本憲章の承認のために、FERPAから促進された闘争の「ヨーロッパ日」は、ローマでは5月17日であった。この際にも、最低手当の引き上げや大きな税控除の必要性はもちろんのこと、新しい福祉法の必要性を主張した。
 EUの基本憲章は、2000年12月にニースのEU委員会で可決されるが、そこには高齢者の権利についての条項もある。第25条は、事実「ユニオンは、尊厳があり、自立した生活を導き、社会的・文化的生活に参加する高齢者の権利を認め、尊重する」とある。
 7月から10月にかけて、国会前の統一デモが激しくなり、ついに、2000年の10月には改革が現実となった。110年前に作られた、1890年のクリスピーナ法の、社会福祉についての規定が変わったのである。新しい規制法は、中道左派政権の改革の鍵の一つで、官と民、NPOとの協力に基礎を置いた新しいモデルを明確にし、副次的には垂直的関係のすべての制度的主体を巻き込んだ。
 国家にゆだねられたのは、もはやサービスの唯一の生産者でなく、社会的市場の意向と調整の役割であり、一方、州は社会的政策のプランを広げ、市町村が直接的に、または私的主体にそれを委託して、サービスを組織し、供給するものである。2000年11月13日の法・第265号によって導入された新しい手段は次のとおりである。
 ● 苦痛の緩和サービス(ホスピス)。高齢者、または要介護者の介護にとられる家族を支援することに向けられる。
 ● 介護手当。受け取り者は、高齢者、障がい者、または扶養の要介護者をもつ家族である。通常の家族手当と一体化できる。
 ● 信用貸与。市町村が若い寡婦だけ、二人以上の子どもがいる若夫婦、障がい者がいる家族に供給する無利子の融資。貸与は、他の税との選択もあり、方式は合意による
 ● 在宅扶助。身体的、精神的な問題をもつ人がいづれにしても自立できないか、または施設に収容かの二者択一の援助。
 ● 貧困家庭への特別手当。テスト的であるが失業者、ヤミ労働に対する最低所得。
 ● 家族的家庭。養子でない子どもを家庭的に受け入れができる共同体構造。孤児院の代わり(法により閉鎖)。

 法は、すべての市町村が専門的社会サービスを保障して、緊急時の社会的助成、在宅扶助、住居的や半住居的構造(ディサービス)の受け入れセンターに関わって、すべてのレベルを定めることになる。市民が活用できるサービス、アクセスの基準、供給の仕方を知る権利を行使できるための「社会サービス憲章」(2000年11月8日第328号)が生まれた。これに「公的扶助慈善制度」の財産のW埋め合わせWも追加されることになる。 
 こうして、2001年9月最初の班会議の長い討論から始まり、2002年1月28〜30日のリーミニの第16回全国大会での、SPI―CGILのラッファエーレ・ミネッリ書記局長の再選に至る。
 憲法を守り、社会国家の変化のために、現実の年金者の保護、年金条件の公正さ、健康や貧困に反対し、孤独や古くて、新しい差別に対する権利を守るために活動し、闘うことを表明した。


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