イタリア年金者組合最初の頁

(2)年金者適性基金の創設(ルビナッチ法)
 戦後の最初の大成功は、年金改善と年金者の疾病保険についての1952年4月4日の法・第218号の承認であった。ルビナッチ法は、年金者適正化基金(Fap)を設立し、女子は55歳、男子は60歳以下の強制保険を拡大し、13ヵ月目のクリスマス手当分の最低年金を規定し、失業者や結核患者の保険管理を統合し、年金の最低が決定される(65歳以上の年金者と身障年金資格者には年6万リラ、65歳未満の年金者と遺族年金資格者には年8.2万リラ)。
 すべてが不十分であったとしても、労働組合が年金問題で政府に法律を制定させることができ、全般的な関心を集めさせたことが、年金者組合にとって歴史的に重要な一歩であった。
 50年代の前半は、年金者組合が政策論争や組合の体力の弱さについて重大な再考を開始するが、大きな成果を見ることなく、年金もない年寄りの多年の問題が解決されることがないままであった。ファシズムの時代や第二次世界大戦後に、高負担逃避が原因で社会保障条件の資格要件を満していなかったからである。
 1956年は、W恐慌の年Wでもあった。ソ連共産党第20回大会のフルシチョフの秘密報告、ポーランドのストライキ、スエズ運河の危機、ハンガリー暴動。その間に憲法裁判所と司法最高委員会の誕生で憲法擁護の建設が続いた。
50年代後半は、年金者組合にとって困難であったが、少しずつ実りの秋を迎えつつあった。1957年〜58年の全国デモを皮切りに、障がい者や高齢者、自営業、折半小作農、 農民の遺族への保険の拡大(疾病は54年に獲得)、そして従業員労働者へ有効な年金を認めさせ、年金の最低条件を引き上げた。
 
1958年には、FIPの幹部会で正式に文章化したW要求プラカードW運動が展開されるようになる。
イタリア社会が中道右派からの過去との決定的な関係を解消しようとして、中道左派政治への定式化をはかろうとしていた。
 ・すべての年金の取得権を守るために、スカーラ・モービレの適用
 ・年金や結婚の日付に関して、制限もなく、遺族の配偶者や庶子・養子の遺族権の承認、未成年や労働不能の大人の孤児への救済
 ・未亡人の場合には、故人の労働者の年金分の80%、1人の孤児や両親兄弟の場合は60%の付与
 ・すべての部門の年金者に、1958年2月の法、第55号で承認された規則の拡大
 ・必要な時やすべての専門医薬品の扶助の改善、診療所や病院の整備
 ・すべての年金者への13ヶ月分のクリスマス・ボーナスの承認
 ・雇用者の分担金の払い込みがない場合にも、すべての労働期間の承認と年金権の目的での登録期間の再統合
 ・最終的な要求として、個々の年金保険システムの廃止を基礎とした社会保障の改革、
  すべての者に最終の賃金、または給与を基礎とした年金の確定と管理の統合と簡素化による負担金の徴収と立証システムの統合である。この要求に移民のための国際条約の締結、負担金の確認と受領システムの統合、社会保障管理の統合の要求を付け加えた。
 
 第二次大戦後、荒廃した瓦礫の中から立ち上がった、イタリア年金者組合は創立後、わずか10年間で、将来的な展望としての偉大な組合像を練り上げて、世界最大の年金者組合に成長していく先駆性の片鱗を垣間見る思いである、(当時、約35万人余の組合員)。
 1959年は、年金者にとって決定的な年であった。年内は闘争に明け暮れてたが、主要な勝利は、5月27日の法・第324号で国公年金者にいわゆるWびっこのスカーラ・モービレWを導入し、生計費の変化に伴って、毎年、1年遅れで引きずられていくことが定められた。もう一つは、CGILが第1回の社会保障と社会福祉についての全国会議を6月10〜12日に組織し、深く取り組んだことである。この時にCGILは、一方では年金システムと構造改革をするために、もう一方では(スカーラ・モービレ、疾病や労災手当の引き上げ、失業期間の年金目的化)の改善をめざすために、いくつかのFIPの要求をそのものとした。
 こうしてCGILは、フォーディズム産業社会における成熟した資本主義の段階に向かう社会の経済バランスとメカニズムに対して切り込める、まさに真の構造改革としての社会保障の全体的改革の任務を負うことになった。また、1959年は経済的・政治的な観点からも共和国の歴史の中で決定的な変換期であった。事実、この年月にイタリアを工業国に変えた、いわゆるW経済的奇跡Wがあり、一方、政治面では中道左派の季節が始まっていく。現役労働者の、企業や産業別ごとの分節化交渉は、金属機械労働者の協定紛争に続いて、公共部門ごとの協定も調印されていった。
 年金者組合も、労働組合活動が復活してきた日々に勝利を得ていく。シエーナの第5回大会の背景を支配した、1962年8月12日の法・第1338号は、事実、障がい、老齢、遺族年金のすべての条件で、約30%に相当する平均的な上昇を勝ち取った。しかしながら、イタリアの年金者にとっての現実は、以然として厳しく、まだ圧倒的多数が苦しい条件の中で生活を余儀なくされていた。そのために主要な目標は、賃金よりも、むしろ負担金を支払っていない年金の確定を結合させる年金システムの全面的改訂であった。これがFIPのローマの第6回大会で正式な決定を経て、年金者組合の要求戦略の、まさに真の質的な飛躍にする60年代の新しい闘争の臨界点であった。


トップべーじに戻る