イタリア年金者組合最初の頁

(6) 80年代 福祉の危機とヨーロッパ連合
 80年代に初めに政治、社会の衰退の過程が続き激化した。モーロ殺害後、赤色テロは、司法幹部、ジャーナリスト、労働者などの殺害。NATOの軍事演習中の飛行事故(死者81名)、早大の学生も含むボローニャ駅での爆発事件(死者85名)。1982年、PCIの代議士ピオ・ラ・トッレと将軍カルロ・アルベールト・キェーザのマーフィアによる攻撃。1948年12月のマーフィアとカモッラによる、ナーポリ・ミラーノ間の列車の惨事事件、フリーメーソン、P2と“尊者マエーストロ”リーチオ・ジェッリが交差している。
 イタリアで最初の社会党の首相クラクシ政権が作られ、経済政策は強引な自由主義の痕跡で記される。保守主義的政権を目立たせる目標の一つは、労働組合に対する乱暴な見直しであった。労働組合への正面攻撃と特にCGILへのスカーラ・モービレの変更である。
 1984年2月のクラクシ政令は、スカーラ・モービレの物価調整手当の3/12ポイントを削減した。これは、1972年の総同盟協定の破棄をもたらすほど、他の労働組合間とCGILの弱体化を見た局面の顕著な変化であった。

 80年代にCGILの年金者組合は、特に、1968年から1978年にかけて獲得した重要な成果を守ろうとした。その中には福祉(健康・快適な生活を含むWelfare)のシステムが誕生し、その由来に従来の社会的レベルを上げる必要な修正と調整を推進する目的で機能していた。 
 しかし、その企画は、組合政策の実現を客観的に阻止する、いくつかの要因が原因でより困難になっていった。事実、国内や世界の経済構造の大変化は、いくつかの苦しみの課題を課した。大量生産方式のフォーディズムの危機、生産の硬直した職場のフレシキブル性、サービス事業の急激な成長、失業者のめざましい増加、それは、福祉の困難な建設過程を指導してきたW世代間の連帯Wの基盤を討論に附すことになる。

ヨーロッパ統合へ、FERPAに
 CAF(クラクシ・アンドレオッティ・フォラーニ)体制が最も強力な年月であった。明らかに政治的現状維持で彩られ、長い間に広範囲で非合法な投機網をもちこみ、イタリアの政治、企業の多くの分野を腐敗・堕落させ、国家と市民との関係も毒さした。
 しかし、最も重要な出来事は、外からやってきた。1989年のベルリンの壁の崩壊は、イタリアの政治にも大きな影響を与えた。PCIの書記局員アキーレ・オケットは、党にとっての構成的転換をとなえ、ボローニャの転換から分裂が生まれた。1991年の末には共産党の再建党が誕生する。
 80年代の中盤から、ヨーロッパのテーマは、労働組合内部で一層の関心を引き起こした。大陸的レベルでのW社会的対話Wについての労働組合の集中は、ヨーロッパ労働組合同盟(CES)の強化に貢献して、その成果を与えた。
 1985年からSPIは、FNPとUILPと共に、ヨーロッパの労働組合融合の過程のために努力した。事実、1985年5月13〜17日、ミーラノで開催されたCESの第5回大会で、ヨーロッパにおける「高齢者問題」に取り組むことを執行委員会に委任することが承認される。
 ヨーロッパのテーマは、ローマのSPI・第12回全国大会(1986年2月12〜15日)の際にも、組織の主要な任務を変質させないとする、適正な注意を集めた。高齢者のヨーロッパ労働組合の引き継ぐ接近過程は、同年11月24日、ブリュッセルであった。その日、ヨーロッパ労働組合研究所(ISE)は、CESの執行委員会の委任によって、ヨーロッパにおける高齢者問題についてのセミナーを組織することになる。それには、約500万人の年金者を代表して,EUの9カ国、13の中央組織が参加する。合流過程の点から、さまざまな組織体験の有意義な最初の重要な出会いとなった。この結果、CESの執行部は、翌年3月に社会保障委員会、6月には新しい大陸の構造の組織形態を討論する目的のセミナーの招集を決定する。
 セミナーは、1987年10月21〜23日、イタリアのフィレンツェで開催される。この場で、ヨーロッパの年金者がそのための制度的な場(ヨーロッパ委員会、ヨーロッパ議会、ヨーロッパ評議会)で代表し、保護すること、そして、CESに加入した労働組合組織の必要性を明らかとした。こうして、CES内部に、それぞれの中央組織によって任命された、36名の代表よって構成される年金者・高齢者の調整委員会の新しい構造の考え方が生まれた。
 委員会は、1988年4月3〜4日、マドリードで正式に誕生する。ここに12カ国、36中央組織の約100名の代議員が参加する。この最初の段階で委員会は、とりわけ社会国家のテーマについてEUの不満と批判があった。さらに、それは、1989年10月16日、ブリュッセルで開催された、社会的ヨーロッパのための労働組合デモの組織化に貢献していく。
 ヨーロッパの高齢者労働組合の発展過程は、ヨーロッパ委員会の内にもいくつかの進歩をうながした。特に、1991年の当初から雇用委員会が整備され、より成熟した新しい代表組織へと移行していく。同年12月には、CESの執行部は、「ヨーロッパ年金者・高齢者連合(FERPA)」の名前を取り、代表制と保護の、まさに真の組合連合の誕生を承認した。その設立大会は、1993年春にマドリードで開催されることになる。
 FERPAは、さまざまな国で年金給付が労働関係の特殊で、独占と考えられてきた組合活動の本質的な放棄をもたらしたがために、とりわけ複雑さがわかるものである。年金で所属する職業的組合への加入は、むしろ現役の組合活動への継続性を与えるためというよりも、思想的動機や補足的社会保障を後追いするために維持されていた。FERPAは、ヨーロッパの年金者たちに新しい進路を提案した。より社会的ヨーロッパを獲得するための年金者の活動的な組合活動を意義づけ、労働の社会権を主張し、社会的結束と世代間の関係を強化し、ヨーロッパの社会モデルを守り、年金支給や医療システムから始まり、普遍的で強固な性格の社会的保護の偉大なシステムの改善を目指すことになる。 


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