(8) 1990年代の回復、SPIの戦略的・組織的変化
1990年は、高齢者市民の権利憲章の提起の年であった。秋には、高齢者の最も初歩的な権利・価値・原則を列挙した資料が提案された。統一プロジェクトで発展させるべきテーマとして、SPIの第14回大会(ペーザロ、1991年9月30日〜10月5日)に提案するとして、イタリアとEUの最新で広範な展望を示していた。提案の要項は次のとおり。
・ 通貨のインフレ率をカバーするべく、スカーラ・モービレと公・私部分の賃金を連結するシステムを保障する形での社会保障の改革(現行の既得権を守りながら、80%までの年金レベル)
・ よりよい生活の質を高齢者の権利について地域交渉の発展を通じて次のように― 社会サービスと医療のネットワークの推進、各種の予防と医療扶助の統合サービスの計画化と管理としての地域保健管区の確立と機能化、社会的福祉サービスの制度化(老人ホーム、あるいは老健施設)、生活環境そのものでの高齢者の滞在のためのサービスの発展(宅配給食と洗濯サービス、自主管理を含むレクレーション文化センターを通じて、新たな社会化と文化のチャンス)。
― 年金給付前に訓練を受けた職業性の社会化と新しい労働形態への接近を可能にする(SPIの第13回大会のスローガン「高齢者は社会にとっての資源」)労働の保護と発展ならびに、高齢者の有益な社会的活動
― ボランティアの連帯組織の発展。社会的組織に存在する人間の資源を動かすための人々の間での援助・連帯の互助形態の実現(ここからWシルバー電話W。隣人への声かけやシルバー救急の会、ディサービスや在宅サービス社会センターの周辺グループなどのネットワークが誕生)
― 福祉の改革と最低生活費の制度化。拠出年金を享受していないか、または最低生活所得以下にいる高齢者への障がい者年金や他の一時金の助成。
憲章は、高齢者の期待、その夢、その困難さをもつ、長い間積み重ねられてきた到達点であり組合内での大きな反省と新たな討論へのまとめであった。それは、社会国家についての発想を根本的に変えたものであった。それはわが国の困難な財政状況を考えながら、SPIの計画的・組織的目標の明白さに、高齢者を全体的に見渡す研究の到達点を代表した。そこには、労働界の周辺や異なる世代間で活動している新しい連帯の上に立脚した諸権利の一つの総労働組合という考え方にある。
1990年10月27日、またもや年金者たちの組合によって組織された、ローマでの重要な全国デモがあった。今回は、3年前に比べて2倍の50万人の参加でサン・ジョヴアンニ広場を埋め尽くした。政府への年金者組合らの圧力は、内閣が年金の約600万人の再評価(1991年、法・第59号)を譲らなければならないようなものになった。初めて、高齢者の社会・医療状況をSPI・FNP・UILPに知らせた合意公文書の署名をもって、保健大臣との協定に達した。
1991年のSPI第14回のペーザロ大会は、権利憲章ばかりではなく、SPIの内部構造の再点検もされた。最も改革があったのは、地域の基礎構造を「班(レーガ)」と定めた(注・「レーガ」とは、「同盟」「組合」とか「結託」とかで使われているが、古くは1893年に「全国協同組合連盟(レーガ)」と呼ばれて以来、協同組合の歴史の中で現在でも最大の組織として有名。それに対抗するように、SPIの末端組織「レーガ」を命名したのは興味深い。しかし、集団的にグループ化していくので、日本流に「班」とする)。ことで地域との密接なつながりに、基礎を置いたSPIの政策活動である。
1989年11月のSPI総評議会では、すでに労動組合を地域にもっと関係させる目的をもった、いわゆる「レーガ・プロジェクト」を提出していた。それは地域住民の要求を一層深化させ、発展させ、拡大することによって、SPI・CGILが、代表制や構造の関連を通じて地域に広がろうとしていた。日本で言えば、1970年代のさしずめ「国民大運動実行委員会」としも同調する動きであった。そこで、SPIは1991年の大会で「新規約」を可決した時に具体化したのが、地域政策活動であった。時あたかもSPIが250万人を越えようとする時期である。
規約第19条は、班を「イタリア年金者組合の基礎要件」として定め、地域の基準に従ってさまざまなレベル(市町村、管理区、地区、町内)を想定している。機関は、班の大会、班の幹部と書記局である。
第20条は、W限られた地域的現実の一層の班活動の調整の時まで、年金者組合の方針によりW地区構造の正式な変更を承認する。
班の任務は、主にこの二つの活動範囲が関係する。一つは、政策活動であり、もう一つは、組織活動である。
その第一は、要求の政策大綱の作成を通じて、地域の話し合いと紛争の相手側の諸機関との交渉を推進しなければならない。到達した合意の実現の管理や中央・州の指導部の地域への広がりが、この政治的計画活動の2つの基本的な帰結であった。
その第二に、班は、班の内部について組合員の参加を促しながら、自らの組合員のことに専念しなければならないことである。組織的な任務は、組合員証の更新運動から教育、情報収集と管理、レクレーション活動まで、AUSERの成長を通じたサービス網の発展から連合主義(注・組織間の連結強化)の世界やボランティアの推進までに至る。
班は、組織的な面や計画の面からも、80年代末からと90年代にかけて、進められてきた戦略の根本的な変化の最も明らかな例である。高齢者市民の権利憲章と共に、それは社会国家の危機や労働組合運動の困難さによって特徴づけられて、年金者組合が新しい連帯文化を主張するために闘った、積極的な段階までの防衛的局面からの通過を象徴した。