はじめに
2007年から2008年にかけて、米国のサブプライムローン(低所得者向け高利住宅金融)問題が表面化し、さらに、米国の大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した世界同時不況が世界的にさまざまな問題を引き起こした。日本では2008年末に「年越し派遣村」なるものができて世界的に話題になった。耳慣れぬ「年越し派遣村」なるものは、非正規労働者が仕事と住まいを同時的に失うという事態を意味していた。私には大きなショックであった。それは、なぜ労働組合の連帯思想がなくなったかということと、社会保障がそこまで欠落しているのかということに対してであった。
2009年2月の「しんぶん赤旗」に、「公務労働の原点に戻る なぜ派遣村のことが組合で議論されないのか」という記事が載った。ホームレス生活を余儀なくされた労働者の姿が数多くみられた西日本のある自治体の労働組合での話だ。この労働組合では、「地域に出て住民とともに」ということを口には出すが、実際には「要求は身の回りのものばかり」、「運動の組み立てが組織内に狭まっている」という現実を考え直し、派遣切りされた労働者の支援活動にも乗りだしたという。この企業別組合でのできごとはそれなりに重要なことである。しかし、企業を超えた組合活動のことには触れられていないし、労働組合と地域のかかわりについてのイメージも浮かび上がっては来ない。これについては別稿で触れることができれば、と思っている。
25年前、私は自費留学で、2年間、イタリアのエミーリア・ロマーニャ州モーデナ県カルピ市に滞在して、イタリア労働総同盟(CGIL)の地区労働評議会(CdL)をじっくりと調査した。さらに2011年5月、イタリアに2週間滞在し、イタリア年金者組合(SPI・CGIL)を中心として、労働組合とは何か、組織と構造の違い、その機能と役割、社会保障と福祉、組合の代表制と社会責任は何か、そして、そのボランティア組織『サービスの自主管理と連帯の会』とは何か等々の取材を行った。このホームページはその成果のひとつである。
この最初のイタリア滞在と2回目の滞在の間に、私個人にとって大変なことが起きた。2009年2月、私は脳梗塞で倒れ約2カ月間の入院生活を余儀なくされた。リハビリなどによってずいぶん回復し、目立った四肢麻痺はないし、日常生活は何とかやれる。ところが、自分の後半生をかけて学んだイタリア語も、今では大きく回復したが、当時はほとんど思い出せなかった。加減演算も、引き算は今でもままならない。
失語症と言語障がいのゆえに身障2級(脳機能障がい)に認定されていた。2009年9月、私はまだ時刻表も読めなかったが、何とか学ぼうという気持ちで秋田市で開催された第37回中央社会保障学校に参加した。スローガンは「学び、集まり、話し合おう」であったが、所詮“学校”であり、ディスカッションの場ではなかった。
頑なに拒んでいたパソコンを購入した。必ずしも思い通りには動かない指を使ってポチポチとキーボードを叩くことも始めた。このホームページ「イタリア年金者組合の調査と研究」は、ある意味では脳梗塞後遺症に負けないという己の宣言でもある。
脳梗塞は不治の病気であるが、後遺症はある程度のところまでは克服することができる。多くの先人たちの書に励まされたが、とりわけ勇気を得られたのが次のものである。
『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テーラー著、竹内薫.訳 新潮社)
『暮らしのハンドブックー脳血管障害の先輩から後輩へ』(グループ・ピアズ発行、編著)
『寡黙なる巨人』(多田富雄著 集英社文庫)